顎矯正治療の流れ

ここでは、顎(あご)の発育に異常があり、歯の矯正治療だけでは、噛み合わせや顔のゆがみなどが治らない場合の治療法、すなわち顎矯正手術を受けられる方の、手術準備から手術後の経過観察までの流れについて、順を追って説明します。
手術は通常全身麻酔下で行い、上顎や下顎を分割し、理想的な位置へ動かしてスクリューやプレートで固定します。ほとんどは口の中の粘膜を切開して行い、顔の外には傷は残りません。人により異なりますが、手術はおおむね3時間から6時間程度かかります。

1. 手術の適応かどうか?

顎変形症の相談でかかる医療機関、たとえば顎矯正治療を専門的に行っている当科のような病院の口腔外科か、顎変形症の矯正歯科治療が保険適用される矯正歯科(顎口腔機能診断料算定の指定機関である必要:後述)では、顎変形症であると診断するためにX線検査や模型診査を行います。
通常の歯列矯正治療と顎矯正治療との間には「こういう場合はこちら」という明確な線引きはありません。明らかな咬合異常がなくても顎矯正手術が適当である場合もありますし、逆に顎変形を自覚されていても、客観的に見て手術適応ではない場合もあります。手術の適応か否かは、顎矯正治療を専門とする口腔外科医あるいは矯正歯科医の診断が必要です。実際の治療を開始するにあたっては、顎変形症に関わる「顎口腔機能診断」を受けていただき、矯正を担当する保険医療機関と手術を担当する保険医療機関が連携して作成した治療計画書を、文書により提供しなければなりません。ここでいう治療計画書とは下記が記載されたものを指します。

  • 診断名、症状および所見
  • 口腔の症状および所見(咬合異常の分類、口腔の生理的機能の状態、頭蓋に対する上下顎骨の相対的位置関係の分類など)・ヘルマンの咬合発育段階などの歯年齢など
  • 歯科矯正の治療として採用すべき療法、開始時期および療養上の指導内容など
  • 歯科矯正に関する医療を担当する保険医療機関および顎離断などの手術を担当する保険医療機関が共同して作成した手術予定などの年月日を含む治療計画書、計画策定および変更年月日など
  • 顎離断などの手術を担当する保険医療機関名および担当保険医氏名
  • 歯科矯正に関する医療を担当する保険医療機関名、担当保険医氏名など

最初に当科を受診された場合は上記の指定矯正歯科医院を、矯正歯科医院を受診された場合は当科などの口腔外科を紹介されます。そして当科と矯正歯科で共通した認識が得られて初めて顎矯正治療がスタートします。手術の危険性や合併症・後遺症などの説明を受けて、十分に理解されたうえで治療を受けるかどうか決めましょう。当科では、手術説明のうえで、治療の承諾書や確認書にサインをいただきます。

2. 施設基準

術前矯正治療を保険で取り扱うためには、厚生労働大臣が定める施設基準に適合しているものとして、地方厚生(支)局長に届け出た保険医療機関(矯正歯科)である必要があります。また、咀嚼(そしゃく)筋筋電図、下顎運動などの検査、歯科矯正セファログラム、口腔内写真、顔面写真および予測模型などによる評価または分析を行うことが求められています。
顎変形症の手術前後における歯科矯正に関わる施設基準が、規則により下記のように決められています。(平成23年3月現在)

  1. 障害者自立支援法施行規則(平成十八年厚生労働省令第十九号)第三十六条第一号及び第二号に規定する医療について、障害者自立支援法(平成十七年法律第百二十三号)第五十四条第二項に規定する都道府県知事の指定を受けた医療機関(歯科矯正に関する医療を担当するものに限る)であること。
  2. 当該療養を行うにつき十分な専用施設を有していること。
  3. 当該療養につき顎離断などの手術を担当する別の保険医療機関との間の連携体制が整備されていること。

顎矯正手術を担当する保険医療機関については、上記のような規定はありませんが、高度な治療手技が求められる手術ですので、誰でもが簡単にできるというわけではありません。

3. 矯正治療の前に

上記の治療計画書が作成されたら、矯正治療に入る前に、以下の点につき、確認と準備をお願いすることになります。

  1. 虫歯、歯周病の治療
  2. 親知らずなど、治療上の支障となる埋伏歯の抜歯
  3. 必要に応じて生えている歯の便宜的な抜歯や小手術
  4. 悪習癖の改善(片側咀嚼、頬杖、うつぶせ寝、口呼吸、嚥下時舌突出癖など)
  5. 明らかな顎関節障害があればその治療
  6. 睡眠時無呼吸(いびき)があればその検査(耳鼻咽喉科にて)、必要に応じて治療
  7. 全身的疾患のある場合は、その治療と主治医の手術許可:
    もし全身的な既往症(内科的な病気)があれば、それが全身麻酔下で行われる顎矯正手術の妨げとならないか、主治医の先生にも相談されることをお勧めします。
  8. たばこを吸っておられる方は、治療を機会に禁煙されることを強くお勧めします。喫煙により手術の傷は著しく治りにくくなり、また、術後の喀痰の量が多くなるため、苦しい思いをされることになるからです。

4. 術前矯正治療

手術の前には、まず上顎・下顎それぞれの位置と形態に応じた歯並びに改善するため、矯正歯科で術前矯正(矯正歯科でブラケットやバンドが歯に付けられて術前矯正が行われます)を行い、術後に噛めるようにしておきます。歯が動きやすい方、動きにくい方がありますので、術前矯正治療に要する期間(数カ月~2年)は、あくまでも予測となります。その間は、装置があるために歯磨きがしにくくなりますので、歯に汚れが付いたままにならないよう気をつけましょう。

5. 手術申し込み

術前矯正治療が順調に進みますと、矯正歯科の医師から、いつぐらいに手術が可能な状態になるか、お話があります。もちろん、患者さんのご都合に合わせて手術時期は調節できますが、当科での手術はあらかじめ予約しておく必要があります。おおむね術前矯正治療が終了したら、原則として、手術申し込みと最終的な手術法の検討のために来院していただきます。手術希望時期が差し迫っているなどやむを得ない場合は、手術予定日と検査日のみ、お電話で決めていただいても結構です。

6. 術前検査、麻酔科受診、自己血貯血

当科で、X線検査、噛み合わせ模型の型取り、写真の撮影などを行います。そのうえで、最終的な手術法の検討、顎を動かす幅と方向について、説明を受けていただきます。未成年の方は、保護者の方の同席が必要です。全身麻酔のために必要とされるさまざまな術前検査が終わりましたら、後日、当院の麻酔科の医師の診察を受けてください。診察の結果、内科などでさらに検査や治療を受けないと手術ができない場合がありますので、麻酔科での診察は、日程に余裕をもって受けていただく方がいいでしょう。手術法によっては、自己血を採取して保存(貯血)させていただきます。

7. 入院、顎矯正手術

手術の前日または前々日に入院していただきます。手術中に使用するスプリント(歯型から作られた樹脂製の薄いプレート)が合うかどうかをチェックしたり、不潔にならないよう歯石除去をしたりします。また、麻酔を担当する医師や手術室の看護師が診察を行い、最終的な手術可否を決定します。前日の夜は絶飲食の指示を守り、ゆっくりと養生しましょう。
手術当日の朝は、何も食事は取れませんが、必ず歯磨きをして口の中をなるべく清潔な状態にしておいてください。舌の表面も、歯ブラシで傷が付かない程度に磨きましょう。
手術室に入ったら、確認のために、まずお名前を伺います。
手術が無事に終わって病室に戻るときには目が覚めています。麻酔から覚めるときは、意識があるようなないような状態で、状況が理解できないため暴れる方が時々おられます。無理に口を開こうとしたり起き上がったりしようとすると、せっかく止血していたのに 再出血 することもあります。なるべく気を楽に、まわりの指示に従ってください。術後は痛みや腫れでつらいですが、最もしんどいのは一晩だけです。頑張ってください。どの手術においても、手術後3~4日は大変つらいものです。顎の手術も、骨折とほぼ同じで、例外ではありません。口の中は、手や足のように外から固定したり、包帯を巻いたりできませんので、歯と歯、あるいは歯茎に打ち込んだネジを絹糸やゴムでけん引して噛み合わせを固定します。(顎間固定)よって、口を動かすことや口を開くことがあまりできません。食事に制限があったり、会話も十分にできません。また、手術後の数時間は、鼻から胃まで通ったチューブが入っています。これは、意識がもうろうとした状態での嘔吐で呼吸ができなくなるのを防ぐためのものですので、意識がはっきりしてきたと判断されたら抜くことができます。
翌日の朝、病棟で採血、外来でX線検査と傷口の消毒を行います。切った骨の周囲に血液が溜まらないように 吸い出すチューブが口の端から出ている 場合があります。これが抜けるようになるころ、歯科衛生士が歯磨きと水流式口腔洗浄機(ハイドロフロス)による洗浄法を指導します。
手術当日の夜または翌日からは、経口流動食という液状の食事をとっていただける場合がほとんどです。(翌日からおかゆ、軟菜などもあります。一部の方を除き、退院のころからおかゆ、術後2カ月目ごろから、普通のごはんが食べられるようになります)
退院の前に、もう一度血液検査を行います。異常がなければ予定通り退院が許可されます。自宅での過ごし方など注意事項を聞いて、次回の来院予約をとってください。

8. 退院直後の経過観察まで

骨がきれいにつく(癒合)までは、約2カ月ほどかかります。もちろん、矯正装置は術後矯正を行うため、外すことができません。退院後も顎間固定をされている方は、口を開けることも噛むこともできませんので、食事はミキサー食あるいは市販の流動食を歯の隙間から飲みこむことになります。食事回数を増やす、栄養価の高い食品を取るなど、工夫してください。栄養が偏れば骨のつきも遅れますし、貧血から立ちくらみをするようでは、社会復帰が遅れます。食事も治療の一つと考えて、なるべく取るようにしてください。
口が閉じたままの方で、吐き気がする場合は大変危険です。吐き出すことができませんので、吐いたものがつまり、窒息することも考えられます。吐き気がしそうなことは、極力避けましょう。例えば空腹での飲酒(術後は論外ですが)、コーヒーの多量摂取、長時間のドライブ、たばこの吸いすぎなどです。もし、万一吐きそうなときは、自分でゴムを切り、口を開けて吐き出してください。そのためには、常に小さなはさみを持ち歩くことも必要です。
口が開きませんので、歯の内側の清掃ができません。また、食物の繊維質が矯正装置やスプリントにひっかかったり腐敗したりして、口の中は大変不衛生な状態になります。虫歯や歯周病の悪化の原因になるだけでなく、手術後の傷に膿がたまったりただれたりして、骨が治らない場合も考えられます。清潔に保つには大変な努力が要りますが、歯肉の血液の循環を良くして、口の中をきれいにしておくのも治療の一つです。こまめに歯ブラシと、必要に応じて水流式口腔洗浄機を使って、毎食後と就寝前には清潔にするよう心掛けてください。
術後10~14日後に抜糸を行います。このころまでの傷の治り具合、骨の位置が正しく保たれているかどうかが、後々の経過の分かれ目です。

9. 術後矯正、保定

基本的には、手術前に歯並びを治してあるので、手術が済んだ時点では、上下の歯がきっちり噛めるようになっているはずです。しかし、微調整のために、手術後にも歯並びをより安定したものにする術後矯正が必要になります。術後矯正のために、矯正歯科には退院後すぐに連絡を取り、指示に従って受診しましょう。

10. チタンプレート除去手術

この治療で使用された金属のスクリューやプレートは、人体に害がないとされているチタンでできています。経過中に折れたり緩んだりといった特別な異常がなければ、再手術を受けて撤去する必要はありませんが、将来、インプラントを入れたり義歯を入れたりする時期には、何らかの問題が生じるかも知れません。また、ごくまれにアレルギー反応が起こる場合もあります。定期的な経過観察、あるいは歯科医院への相談が必要です。また、CTを撮影する際には、歯にかぶせた金属と同様、ハレーションの原因となります。除去を希望される際には、術後6カ月経過したころにご相談ください。

11. 経過観察

術後1カ月~6カ月の間は、当院と矯正歯科の双方を、定期的に受診することになります。X線検査で骨の付き具合をみて、ゴムのかけ方や本数を調整したり、ワイヤーの交換をしたりしてもらう必要があります。当院の主治医と約束された診察日には、きちんと受診してください。また、装置が外れた後も、1度は必ず検診に来るようにしてください。